約5年前に、キャバレーショーを作ろう、と思い立った無知な私でしたが、いきなり一人でワンウーマンショーをやるほどの勇気はありませんでした。そこで、今でも仲良くしている、劇団四季出身の友人と2人でデュエットグループとして1年ほど活動し、キャバレーショーも行いました。しかしその後、歌の方向性の違いからデュエットとしての活動を中止。私は新しいデュエット相手を探したのですが、声の質や、役者としてのタイプ、方向性などが合う人が見つからず、ついに、ワンウーマンショーをやることに決めてしまったのです。
2002年に「Living Doll」という、人生初のワンウーマンミュージカルコメディキャバレーショーを上演、その後「Pagoda Girl」というシリーズを開始し、今年の5,6月に上演した新作が、「The Best of Pagoda Girl〜Pagoda Girl4」でした。再演を除いて新作のみを数えると、今までに5本作ったことになります。
これだけ多くのことを得た中で、私が1番大切なことだと思うのはSMAPの歌にあった気がしますが、「number one」ではなく、「only one」であることの大切さです。「誰でもない、私であること」。役者も、きっとダンサーや画家にとってだって、大切なことだと思います。でもキャバレーパフォーマーにとっては、必須条件だと、私は思います。なぜなら、まず第一に、NYのキャバレースペースの平均的なキャパシティは約100人です。小さいのです。ということは、ごまかしが利かないのです。大舞台で芝居するのとは違って、大きな演技も分かりやすい表情も必要ありません。必要なのは、パフォーマー自身の、生の存在です。そして、その生の存在は、AさんだかBさんだか区別がつかないのでは困ります。私自身が、私の2本の足で立っていなければいけません。その生の存在が、100人のお客さんとコミュニケーションを取れるのです。第二に、これはキャバレーというエンターテイメントの特徴でもありますが、芝居やミュージカルと違って、キャバレーはお客さんとのコミュニケーションが直接的で、関係が近いのです。つまり、下手な演技や嘘はすぐに伝わってしまう。お客さんはパフォーマー自身の、その人個人の言葉や素の表情を見たいのです。例えば、芝居やコントを観ていてパフォーマーがトチッたりアドリブを言ったときって、特別感があってドキドキするじゃないですか。普段は見せない、その人の素の姿。頑張らない、等身大の自分であるということ。つまり、舞台の上で、赤の他人の前で、生の存在であって等身大の自分でいられること。それが、「誰でもない、私であること」ということです。
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